ヴロツワフは多用な文化と自由な空気に包まれた学園都市です。歴史上、ポーランド以外の複数の国に属したため、多民族性や国際性が豊かな土地柄で、他のポーランドの都市に比べて開放的です。
町中を流れるオーデル川と中州をつなぐ橋や島は独特の景観を作っており、観光地としても有名です。 また、人口に占める若年層の割合が多いため、英語も通じやすく、 留学生に優しい町です。今回はヴロツワフやヴロツワフの大学について ご紹介します。
ポーランドの町としてのヴロツワフの歴史
ヴロツワフは交易路が交差する地点に築かれた要塞に起源をもっています。
都市の建設は900年代頃に始まりました。1241年のモンゴル軍によるポーランド侵攻では、住民が自ら都市を焼き払い、モンゴル軍の撤退を促しました。この際に人口が減少しましたが、ゲルマン人(サクソン人やバイエルン人)が流入しました。ヴロツワフのドイツ化は進みましたが、1300年代まで宮廷での公用語はポーランド語でした。
ヴロツワフは町中を流れるオーデル川に200の橋が架かっている町として知られています。オーデル川を下るとシュチェチン湖を経由してバルト海に出ます。オーデル川流域はバルト海と内陸を結ぶ交易ルートで、オーデル川流域にはハンザ同盟に加盟した都市が幾つかありました。ヴロツワフも、1200年代末にはハンザ同盟に加盟しています。
ポーランド以外の国の町になった歴史
ヴロツワフの多民族性や国際性が培われる背景には、様々な国がヴロツワフを傘下に置いていたことと無縁ではないと思います。
ヴロツワフのあたりは、元々はスラブ系部族の1つであるシレジア人が住みましたが、1300年代を境にスラブ系以外の国の傘下となりました。ヴロツワフを傘下に収めていた国は神聖ローマ帝国の一部であるボヘミア王国、ハンガリー王国、ハプスブルク家、プロイセン王国~ドイツがあります。 第二次世界大戦後にようやくスラブ系民族の1つであるポーランド傘下の都市となりました。
ヴロツワフはポーランドでありながら、ドイツ的な文化が色濃くあるのは上記の歴史に起因しています。例えば、ドイツの習慣であるクリスマス マーケットはポーランドの他の都市とは異なり、ヴロツワフでは古くから催されていました。
ヴロツワフにある主な大学
ヴロツワフにある主要大学と その大学の概要は以下の通りです。ヴロツワフはオープンで、英語が9割程度通じるので、留学生にとってはストレスが少ない町だと思います。
ヴロツワフ大学 (University of Wrocław)
江戸時代からある大学で、ノーベル賞受賞者を多く輩出しています。ポーランド トップクラスの総合大学の1つです。
ヴロツワフ工科大学 (Wrocław University of Science and Technology)
戦後にヴロツワフ大学から岐れた技術系の大学で、ポーランド トップクラスの工業大学の1つです。
ヴロツワフ環境・ライフサイエンス大学 (Wroclaw University of Environmental and Life Sciences)
ポーランド トップクラスの農業大学の1つです。
※リンクをクリックすると、詳細のご紹介記事に移ります。 イメージを持っていただくために、近いイメージを持つ日本の大学や特徴を短い言葉で表現させて頂きましたが、人によっては違うご意見もあり得るかと思います。 一つの意見として お読みくださればと存じます。
情報ソース一覧
ヴロツワフの歴史: Wikipedia





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